アメリカの人口は日本の約3倍で、面積は日本の約25倍、その上、多人種、多民族国家でもあり、世界中から異人種、異民族が集まり、最後の50番目のハワイ州を含めて成立した、まさに「合衆国」です。アメリカは、ハワイとアラスカ州を除いた48州で考えても、東海岸から西海岸の距離は約2800マイル (4500キロ) もあり、3つの時間帯に分かれています。東海岸のニューヨーク市と西海岸のロサンゼルス市の間には3時間も差があり、50番目のハワイ州を含めれば、4つの時間帯になり、ニューヨーク市からホノルル市までは、なんと4,956 マイル (7,976キロ) 、時差は5時間もあります。東京からホノルルの3,856マイル (6,206キロ) より長い距離の国なのです。

 一口に「アメリカ合衆国」と言っても、地域や州によって、慣習や制度が異なる国なのです。ときおり、「アメリカでは、こうです」などと表現する人がいますが、各州が独立国と同じように、それぞれ独自の司法、立法、行政制度、その上、州独自の軍隊まで保有していて、まさに「独立国」と言えます。例えば、「死刑制度」を未だに実施している州、廃止している州、所得税や消費税の無い州など、州によって制度が異なります。

 要するに、「アメリカ合衆国」という多民族、多文化の集合体は、日本のように「ほぼ同一民族」の国とは、最初から文化背景が異なり、当然のことながら、地域や州によって民族分布にも違いがあり、多くの「下位文化」(subculture) が存在するのです。この点では、カリフォルニア州より小さい日本でさえ、「関西対関東」のように、地方によって伝統的な慣習や方言が存在するのですから、アメリカの場合には、州ごとに独自の制度や慣習に相違が現れるのは必然的な結果とも言えるでしょう。

しかし、その反面、国家組織全体を基準にして考えた場合、アメリカでも日本でも、それぞれ「国全体」としての社会制度や文化的慣習に他国とは異なる「国全体」としての特徴があると言えます。本書では、できる限り、地方や州による相違点も取り上げながら、アメリカの全体像も取り上げることにしました。

 また、日本の学校英語教育は、明治5(1872)年の学制公布と同時に義務教育として中学校で始まり、日米戦争以前は、英語の本家「イギリス英語」(BE (British English))を基本にした「教養としての英語教育」が 行 われ、太平洋戦争終結の昭和20 (1945)年以後は、特に米国との接触が「より直接的」になり、その結果、実際に「アメリカ英語」(AE (American English)) を母国語とする人たちとの対話の機会が戦前の言語環境とは比較にならない頻度で増えているにも拘らず、学校英語では依然として「教養英語」の域を脱しきれず、実践的な学校英語教育が実施されず、「会話の授業」を長い間導入しなかったという批判が続きました。

 文部科学省では、令和2 (2020)年からは、学校英語教育を小学校3年生まで下げて、「外国語活動として聞く力、話す力」を中心にして、実際のコミュニケーションに必要な英語の授業を体験させ、「英語に慣れ親しむこと」を目指すということになりました。

 果たして、学校英語教育を中学1年から小学校3年生まで下げることで、日本の学校英語教育が成功するのでしょうか。筆者の考えでは、日本の英語教育を小学校低学年まで下げて実施しても、「失敗に終わる」と思います。その結果として、「英語嫌いの日本人」の数を無意味に増加させる結果になることを危惧しています。そこで、本書では、日本の「学校英語教育方法」についての試案も述べることにしました。

 皆さんには気軽に「短い項目」を2、3項目読み、「英語と日本語の相違」や「アメリカと日本の社会構造や慣習の相違」を理解して頂ければ幸いです。

令和7(2025)年 4月 
著者 黒川 省三(Shozo Andrew Kurokawa)