追加.1 同じスピーチに3種類ある
アメリカの生活では、日本のそれとは比較にならないほど、人前で話をする機会が多いと言えます。いろいろな会合でのスピーチ、学術会議での研究発表など、数多くの機会があります。これも、日本の人口構造と異なり、多民族国家のアメリカでの生活の所以でしょう。基本的に同じ文化を背景にして育っている日本人なら、お互いに黙っていても、意思が通じることが多いと言えますが、他民族同士では、言語表現にして表さないと、相手が何を考えているのか分からないのは当然の結果です。
私も現役を引退してからは、人前で話をする機会も少なくなりましたが、現役時代に経験した毎回のスピーチを振り返ってみると、「スピーチには3種類ある」ことが懐かしく思い出されます。それは、「スピーチ前に準備した内容」、「実際に行ったスピーチ」、最後に、スピーチを終えた後に「こう話せば良かったのに」という3種類です。
要するに、「理想的なスピーチ」とは、各人の実際の「スピーチ プレゼンテイション」を終えた後で、後悔することなく、「思い通りに発表できた」ことが実感できるか、できないかということになるのではないでしょうか。
追加.2 推薦状の書き方
アメリカの大学で教鞭を執っていると、学生のために、日本の大学とでは比較にならない数の「推薦状」を書くことが要求されると言えます。
例えば、学部卒業前の学生が他の大学の大学院過程に進学するとか、卒業生が就職するとかの場合などの例が挙げられます。
推薦状 ( a letter of recommendation) は、当然のことですが、個人の 経歴や学業によって、内容も千差万別になると思います。しかし、日本の推薦状は、昔から伝統的に「学業優秀」「品行方正」「身体強健」、女性に対しては「才色兼備」「才媛」などの一律的な文言が使われてきました。少なくとも、古い世代の日本人の間では頻度高く使われてきた表現です。これでは、推薦状を受け取った側では、推薦された者が「どのように学業が優秀」で、「どのように行いが正しい」のか、全く分かりません。
そこで、推薦状を書くに当たっては、推薦される者が如何に優れているか、特筆するべき点は何なのかなど、具体的な例を挙げて説明することが肝要です。例えば、同学年の学生の中でどの程度の成績なのか(同学年の学生で上位何パーセントの位置なのか)、どのようにリーダーシップを 発揮したのかなどを、具体的な例を挙げて示す必要があります。
また、実際に英語で推薦状を書く場合には、最初と最後の部分をどの ように表現すればよいのかを知る必要があります。中身の部分は具体的な例を挙げて記述すればよいのですが、書き出しと締めくくりの部分には、 いちおう「書き方の定番又は傾向」がありますので、付記することにします。
- 書き出し
大和花子から貴校の大学院言語学科への入学申込みのための推薦状の依頼を受け、私は喜んで引き受けました。
私は、本郷章夫の貴社副支配人職への申込みのために推薦状を書く機会を得て、喜んでいます。
2. 締めくくり
躊躇することなく、私はこの学生が貴校の大学院過程に進学する ことを推薦致します。
私は、貴社がこの有能な青年北郷章夫を採用されるよう推薦致しますと共に、彼を採用することで決して後悔なさることはないと 確信しております。
(英語表現は II. 参考英語表現pp.xx 参照)
追加.3 Mailと E-mails のスペルの相違
現在の我々の生活では、日本でもアメリカでも、どこの国でも、昔の社交交信手段の「手紙」より、最初は「Eメール」、その後「ライン」などに変化し、表現様式や送信時間に大きな変化が起こりました。例えば、嘗ては、日本からアメリカへ手紙や葉書を送信すると、相手に届く までに速くても3、4日掛かりましたが、現在のEメールなら数秒後には届くという時代になりました。筆者のように95年もこの世に生きていると、いろいろな変化に驚かされます。
Eメール交信が始まってから少し経過した時に、日本在住の英語関係の編集者からE-mail の綴りは「複数形」にできるのか、どうかという 質問を受けたことがありました。その時の私の返答は、letter 「手紙」は加算名詞で -s が語尾に付くが、mail は「総合的な名詞」で不可算名詞なので、-s が付かない、それ故に Email にも -sが付かない筈というものでした。ところが、その後、アメリカ人の間でEmail には語尾にsを付けて使うようになっていることが分かりました。最近では、更に簡約化されて、email になっているのには驚きます。
この現習慣などで分かるように、各言語の使用上の規則は、その言語を使っている人たちの総意で決めるもので、「規則通り」にはならないものだということです。mail が総合的な名詞で、不可算名詞なら、その延長でemailにも-sが付かない筈ですが、従来のmail とemail が別のものであることを区別するために母国語話者の「総意」によって両者の相違を示すようになったのでしょう。
今では、多くのアメリカ人の間では、一昔前まで散々お世話になった「通常郵便」のmail をsnail mail 「カタツムリ便」などと呼称し、「何日掛かって相手に着くのか」あまり当てにしなくなっています。
追加.4 日本のロータリークラブへの参加
ハワイ大学を55歳になった年の1986 (昭和昭和43) 年2月付で引退し、ハワイ州公務員恩給給付資格の「10年間以上勤務、55歳以後退職」の条件を満たした後で、退職し、西宮市所在の私立校清和大学の英語学科創設メンバーとして就任、3年間の勤務後、姫路市に新設された姫路獨協大学へ1989 (昭和64) 年に転勤。
アメリカの大学では、教員の昇進資格として3つの条件が求められると言えます。つまり、実際の教室内での教育、研究論文、それに地域社会への貢献です。ところが、日本の大学に籍を置いてみると、社会との交流は殆どなく、まさに昔ながらの「象牙の塔」での生活になりました。
そこで、私が考えたのは、姫路獨協大学での教育環境に慣れた就任1年後の1990 (平成2) 年になった時に、姫路市内のロータリークラブへの参加を思いつき、応募しました。ところが、全く予期していなかったことですが、この姫路ロータリークラブは近隣では「最古のクラブ」で、他の クラブとは比較できない「格式の高い」クラブで、入会に厳格な制限が あり、「大学教育関係の会員」は「学長であること」が原則とのこと。 つまり、ロータリークラブのメンバーは各地区内の各職業の代表者で構成されるということで、「学長」のみが会員になる資格があるとのこと。
その対策として、私の入会面接の役員の一人だった姫路市内多湖病院院長多湖楢祐氏 (1979-1980会長; 元国際ロータリー第2680地区ガパナー)の提案で、「学長に入会希望が無い」場合には、その旨を表明し、推薦状を書いてもらえれば」私の入会を推薦したいとのこと。当時の姫路独協大学初代学長は神戸大学からの須田学長で、神戸から通勤していて、姫路市の住民ではなかったこともあり、私の姫路ロータリークラブ入会のために 推薦状を書いてくれました。その結果、私のロータリークラブ (当時の. 会長は空知病院院長空知啓一氏) への入会が決まり、その後、約10年間 在籍し、毎週火曜日の1時間の例会に出席し、大学内では経験できない 数多くのプログラムに参加し、異業種の方達との交際を深める機会が持てました。
思い出の1つに、姫路市の北に位置する書写山に在る天台宗別格本山 園教寺の大木考啓大僧正が姫路ロータリークラブの会員だったご縁で、或る日の例会後書写山のお寺に招待され、夕方まで書道の教えを直接受けたことがありました。その時に直筆の書「忘己利他」と書道道具一式を 頂き、後日ハワイへ持ち帰りました。大樹大僧正は、その後、令和3 (2021) 年には97歳で天台座主に就任し、今年令和7 (2025) 年1月10日に高齢などによる体調不良を理由に退任されました。
追加.5 日本の大学の英語教材
ハワイ大学を早期定年退職の55歳で引退し、日本の大学に70歳になるまで勤務しましたが、教育面で1つ大きな相違がありました。私の教育分野は一貫して「言語教育」でしたが、日米の大学教育で「教科書」に大きな差がありました。アメリカの場合には、通常全体的なプログラムが組まれていて、特に、基礎学習の最初の2年間の教材には、「段階的に」難易度が上がっていく内容が考慮されて編集されています。つまり、何冊かの教材に連鎖的な一貫性があります。内容に問題が無ければ、同じシリーズの教材が長年使われます。
ところが、日本の大学に就任した時に経験した言語教育、つまり「英語教育」には学年共通の一貫性など皆無で、同じ科目でも担当教員が自由に教材を毎年選定するというものでした。その上、同じ科目を翌年教えるときには、前年度に使った教材を使わず、全く新しい教材を使用するのが 日本の担当教員間の常識になっていました。要するに、同じ科目でも、 担当教員によって「内容が変わる」ということで、学年が上がっても、 学習内容に一貫性など存在しません。
アメリカの大学から日本の大学に転任して経験した最初のカルチャー ショックがこの「教科書使用」でしたが、何故同じ科目に毎年同一教材を使わないのか、2、3の日本人同僚教員に聞いてみました。彼らから得た
結論は、毎年同じ教材を使うと、「受講学生に試験の内容が受講前に知られてしまう」ということでした。私には、その返答がショックでした。
私のアメリカでの言語教育経験では、毎年同じ教科書を使っていても、受講学生からは毎年「新しい質問」が出てきたり、教える側も「新しい 方法」が考案されたりしました。その結果、同一教材の使用法にも慣れ、時には、教材の利点も欠点も明らかになり、教師は総合的に対処し、学生の学習効果を上げることができます。また、学習者が受講前に教材の内容を知り、未然に学習して、内容を理解し、良い成績を得ることができれば、それで「学習目的は果たせた」と言えるのではないでしょうか。実際には、多くの科目を受講する学生が受講前に特定の教科書の内容を独学で 把握することは難しいと思います。もし、それができるなら、大いに結構なことで、その科目の最終目的が果たせるなら、それで良いのではないでしょうか。
ちなみに、日本の大学の英語教育に一貫性プログラムが不在であることの結果として、毎年数多くの新しい英語教材が複数の学術教材専門出版社から出版されています。各社とも毎年10種類ほどの大学英語教材を新刊として出版し、全国的な販売競争を繰り返していたというのが、私が日本の大学在籍中に知り得た経験でした。お陰様で、私にも日本の大学14年間の在籍中に10冊ほど (英語で表現するなら、a dozen of) の執筆依頼が2、3の出版社からあり、臨時収入にはなりました。しかし、前述のように、毎学年教材を替える日本の大学教員なので、全国的に販売されても、教材の売れ行き数は、初年度は多く、翌年度になると極端に少なくなりました。読者の参考までに一例を挙げると、よく売れた教材で初年度が1万部だったのに、翌年度は3千部に下がり、その後は毎年次第に減少しました。
追加.6 日米企業提携会議の相違点
ハワイに住んでいると、ハワイが地理的に、日本と米国本土の中間地点にあることで、日米企業間の会議が開かれることが多いと言えます。筆者のハワイ大学在職中にも、アメリカの企業からの依頼を受けて、日本の企業との会議の司会、進行役を務めたことがあり、懐かしく思い出します。
多くの会議の開催がアメリカの祝祭日を利用したものだったので、大学を離れて、時には、観光客の多いホノルルのワイキキではなく、静かな他の島で2、3日間掛けて開かれた会議にも参加しました。
筆者の限られた経験ですが、大きな会議の進行役を依頼されたことが3回ありました。最初の例を挙げると、アメリカのイリノイ州に在る自動車の部品製造会社と日本の愛知県に在るアイシン精機との提携会議でした。2回、3回目の会議は、スーツケース製造で知られているコロラド州に本社の在るサムソナイトと日本の鞄製造会社エース株式会社でした。これら2回の会議とも、私を雇用したのは米国側の会社でした。私の役割は、アメリカ側には議事進行役兼通訳の2役でしたが、日本側には、日本から同行した通訳が付いていたので、会議進行役でした。
私が経験した日米企業会議で特に印象に残ったことに両者の発言スタイルがありました。日米両社とも、それぞれ数名の役員が会議に出席していましたが、アメリカ側は議題の内容により、各担当責任者入れ替わり、立ち代わり発言していましたが、日本側は全ての議題に関しての発言は終始一貫、社長のみが行うというものでした。
また、当時のアイシン精機社の社長は、豊田佐吉翁のお孫さんになる豊田稔氏で、偶々同学の早稲田大学卒の先輩で、会議でお会いしたご縁で、その後私の日本での研究休暇滞在中に愛知県本社にご招待を受けたりしました。同様に、鞄製造のエース株式会社社長の新川柳作氏とも、会議後の交際が長年続きました。
追加.7大相撲の賞金の受け取り方と張り手
昭和33 (1958) 年7月の名古屋場所以来、日本の大相撲は年に6回の 奇数月に15日間の本場所が開かれるようになり、必ずテレビ放映があり、全国の相撲ファンが楽しみにしていますが、現在では、海外に住んでいる人たちにも、ケーブルTVで同時放映が観戦できるようになりました。ハワイに住んでいる私など、毎場所の放映を1つの大きな「生活のリズム」のように考えるようになり、楽しみにしています。
いつの頃からか、相撲中継を観戦していて気になっていたことがありました。それは、幕内力士の取組には、懸賞金が掛かることがありますが、懸賞金の受け取り方が一定ではなく、明らかに、それぞれの力士が 違った手刀を切っていることに気がついていたことです。私の知識としては、ハワイ大学で日本文化を教えていた時に、どこからかの情報に基づいて『勝利力士は「心という字を手刀で書いて」懸賞金を受取ることに なっている』と教室でアメリカの学生たちに講義していたことが記憶に残っていました。そこで、「馬の口からの情報」を得ることにし、平成22(2010)年9月に日本相撲協会放駒輝門理事長宛にハワイから手紙を送り、「手刀の切り方」に規則があるのかを問合せました。
ご丁寧にも、日本相撲協会広報部から折り返しご返事を頂きました。 その回答は「懸賞金を受け取る時の作法は、勝利の三神に感謝の意を表すというものです。勝ち力士は、神生巣日神、高御産巣日神、天御中主神に、それぞれ左、右、真ん中の順番に右手で手刀を切り、受け取ります」というものでした。
私の理事長宛の手紙には、「手刀」のほかに、常々気になっていた相撲の技「張り手」「張り差し」についても質問しました。当時の横綱朝青龍を初めとして多くの外国人力士、少し前の日本人力士では、貴闘力、板井などが張り手を多用していて、一種の「不快感」がありました。そこで、ついでに「力士に対しての指導過程では、この「張り手」「張り差し」技については、どのように指導されているのかご説明頂きたいと存じます」と付記しました。
「張り手」に関するご回答は『張ること、張り差しをすることは禁止ではありませんが、相撲教習所では、これを実技として指導しておりません。相撲教習所を卒業した後、力士が自然と見て行うようになるものです。しかしながら、自ら「張る」行為は、自分有利の脇が甘くなり、相撲競技としては、不利な体制になるものです。張り差しも同様で、相手が それをすることがわかれば、逆に差され、一気に土俵外まで持って行かれてしまいます。そのため相撲教習所では、張り手や張り差しに頼ることなく、正面から当たり合って取り組むことを指導しています。また、相撲中に「故意に顔を張る」こと、張り手の応酬を行うことは、見苦しいので 止めるように指導しています。』ということでした。
ちなみに、ウィキペディア(Wikipedia) で三神の読み方を引いてみると、つぎのようになっていました。神生巣日神 (かみむすひのかみ)、 高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、天御中主神 (あめのみなかぬしの かみ)。
追加.8ブランクチェック
昭和55 (1980) 年からの1年間ハワイ大学の休職 (Leave of Absence) が許可されて、日本の民間会社が経営した米国ロサンゼルス市内の「大学 受験予備校」責任者の職を引き受け、先ずは、地元の弁護士と一緒にロサンゼルス市北端に在った古い2階建の建物を探して購入しました。
先ずは、最初のステップとして、1階と2階の個室をいくつかの教室に変更する工事をすることになり、建物の改造工事に関しては、全くの門外漢の私だったので、周囲の人に助言などを頼りに、改造工事に必要な地元の工事業者を目的に応じて紹介してもらい、工事を進めていきました。
その時の経験で初めてアメリカの改築工事の実際の進め方などを「苦い経験」とともに学ぶことができたと言えます。1例を挙げると、水道の蛇口1つ取り替えるにしても、依頼した業者は、蛇口の付いた壁を壊して、新しい蛇口に取り替え、それで修理が終わったと言うので、壁を元通りに直してもらいたいと伝えると、『壁を修理するのは自分たちの責任範囲ではなく、他の修理業者に依頼しなければならない』と言われた時には、全く予想していなかったことで、本当に驚きました。考えようによっては、蛇口を取り替えた修理業者は、私が全くの「無知な依頼者」なので、後日考えてみると、私のような依頼者は、「ブランクチェック」を書かせることができる「カモ」とでも考えていたのでしょう。アメリカでは、「ずる賢い業者」が私のようなナイーブな客に対処する常套手段であることが後日判りました。
追加.9 ロサンゼルスの自動車運転免許取得
ついでに、「捨てる神あれば、拾う神あり」で予備校の建物改修では 不愉快な目に遭いましたが、一つ良い思い出もあったので、付記することにしました。それは、当時予備校に在学していた日本からの高校卒業生たちは10名程で、殆どの学生の英語力は良好とは言えませんでしたが、車社会のアメリカでは、先ずは「自動車運転免許証」がやがて必要になるので、地元の警察署で試験を受けさせることにしました。
当時、カリフォルニア州の免許証は16歳で取得が可能なので、受験させることにして、2、3時間かけて「筆記試験問題」の解答方法のコツを教え、受験させました。私が彼らに強調した主な点は、問題選択肢の中にsafe / safety (「安全な」/「安全」) という単語があったら、それが「正解」だということでした。私自身驚いたことに、約10名の未だ英語に 慣れていない予備校生が一人を除いて全員筆記試験をパスしたことでした。その後の実地試験も簡単で、運転免許証を取得することができ、彼らには大きな自信に繋がりました。残念ながら、唯一人不合格だった学生は日本の学校で英語が苦手科目だったようで、高校生時代も殆ど学習意欲がなかったとのこと。私が驚かされたのは、彼が英語のアルファベットのb とdを混同して書いていたことです。
追加.10 接客態度
ハワイでの生活を始めて経験したことで、「店員の接客態度」が日本とアメリカでは違うということがあります。特に、小規模の店で、客が店に入ってきた時に、店の店員がどのように応対するかということです。先ずは、アメリカでは、基本的にどこの店でも、買い物客が入って来ると、店員が近寄って来て、『どのようにお役にたてますか』『なにをお探しでしょうか』などと声を掛けます。店員から、そのような声がかかった場合には、もし「探している物」が既に決まっていれば、『〜を探しています』と応え、そうで無い場合には『ただ何があるか見て回って見たいんです』のように応えます。店員から何の挨拶もないと、「無視されたもの」と思い、不愉快になり、店を出てしまうのがアメリカの習慣だと言えます。
日本の店の場合には、伝統的に、特に我々のような古い世代の者は、店員が最初から側に来て、あれこれ言われるのを望まない人が多いと言えるのではないでしょうか。最初は、独りで「ゆっくり」落ち着いて店内を見て回りたいと考える人が多いと思います。ところが、自分の買いたい物が見つけられた後で、店員を呼んでも、すぐに来てくれないと、無視されたと思い、怒って店を出てしまう傾向があるのではないでしょうか。
(英語表現はII.参考英語資料 pp. xx)
追加.11 「誰も彼も皆」は英語では
日本語には、「誰も彼も」と言う表現があり、その類語にも、軽蔑的な「猫も杓子も」「どいつもこいつも」などが使われますが、英語で代表的なものを挙げると、「人の名前」を列記したものがあります。私も、ハワイで暮らすようになってから、頻度高く使われている表現に「エヴィリ トム、デイック アンド ハリー」(Every Tom, Dick, and Harry) を覚えて、よく使うようになりました。
ウイキペディアでこの表現を引いてみると、この表現は『「太郎も次郎も三郎も」のようにありふれた一般人の名前の人が集まっている様子を表します』と記載されていました。その上、「軽蔑的な響き: 誰でも彼でも、といったニュアンスで使われるため、相手や状況によっては少し軽蔑的な意味合いを含むことがあります」とも付記されていました。
「軽蔑的な響き」にも度合いがありますが、この表現には日本語の「どいつもこいつも」や「猫も杓子も」のような軽視度は無く、「誰も 彼も」に相当すると考えればよいと思います。
Google検索によると、この英語表現Every Tom, Dick and Harry は1657年に英国の神学者 (theologist) ジョン オウエン(John Owen) が使った表現とのこと。しかし、それより以前に1500年代にシェイクスピア (Shakespeare) が “Tom, Dick, and Francis” (トム、ディック アンド フランシス)という表現を使っているとのこと。
ちなみに、この項目を書いているときに、Google検索をしたところ、情報源のWIKIPEDIA (WIKIMEDIA FOUNDATION) [ウイキペディア (ウィキメディア基金)]から画面上に「寄付金依頼」の広告が表示されました。平成13 (2001) 年1月15日から始まったウィキペディアには、私も現役 引退後大変お世話になっており、今回の本稿の執筆にも頻度高く参考にしたので、「渡りに船」と考え、折り返しUSD100を寄付しました。この機会を利用して、読者の皆さんにご報告します。
追加.12 九十五歳になった心境
令和7年になり、太平洋戦争終戦後80年を迎え、私も、なんと今年の11月末には95歳になることを考え、私が日本と米国 (ハワイとカリフォルニア)をほぼ2当分(米国38年間、日本42年間)し、言語教師として住み分け、私なりに経験した「両国の言語や文化、社会慣習の相違」などを思いつくままに纏めてみたいと考えました。長期日本滞在と引退後の生活地保証のことを考えて、バリバリの軍国少年だった私が戦後35年目には、米国帰化市民になりました。
今回の執筆は、いわば九十五歳の米国帰化市民言語教師が纏めた回顧録のようなもので、『九十五歳米国帰化言語教師残日録』と言えると思います。私の極く限られた経験範囲に基づく記述ですが、少しでも多くの読者のご参考になることを願って執筆しました。
残念ながら、現在のハワイでの私の引退生活は、1ヶ月年下の愛妻が10年ほど前に「血液認知症」(vascular dementia)と診断され、その後次第に悪化し、現在では完全に認知機能を失い、自分がどこで生活しているのかをも判断できなくなってしまいました。共に老後の引退生活を楽しむことを願っていた計画が全く立てられなくなりました。家内は現在日曜日以外の週日6日間はデイケア生活、夜間は在宅という生活を続けています。
幸いにも、娘夫婦の行き届いた日常の救けがあり、私の老老介護の負担も少なくなっています。彼らの支持無くしては、現在の我々の平穏な生活があり得ないことに感謝しながらハワイ州オアフ島カイルアの田舎町マウナウィリ谷の村で余生を静かに送っています。
私の現在のハワイでの日常の引退生活は、私には「全てギリシャ語に聞こえる」多くの頭文字で代表される近代的な機能とは無縁の生活ですが、頼れる「膝上」(laptop) ノートパソコンによるEメール(「悪い」メールはお断り)、それにガラケー (ガラパゴス携帯電話) をパートナーにしています。時折、経験したことのない体の疼きや痛み(aches and pains(ゲルマン語でもラテン語でも)、それに時折腓返りがあちらこちらに起こりますが、どうにか健康には恵まれています。
いつ頃からか、この世の中も「人生100年時代」と言われていますが、私も残る5年間を少しでも「世の中の人のためになる」有意義なものにしたいと考えています。私の少年時代からの生き方は常に「孔子の教え」に従ったものですが、八十歳以後の人生には、七十四歳でこの世を去った 孔子の教えが無いので、自分なりに、現在の心境を自己流に漢字で示すことにして、「無飾悦学利他」と纏めることにしました。つまり、「常に言動を飾ることなく、少しでも新しく学ぶことを喜び、それを他者に伝える」ような生き方ができれば幸いと考えています。
