3年越しのホームカミングデー
10月23日開催のホームカミングデー2022の案内状が届いた。新型コロナウィルス感染症の流行で、2020年度は中止、2021年度はオンライン開催、今年やっと対面での式典が復活した。本来、卒業50年・45年・35年・25年・15年を迎える年次が招待されるらしいが、過去2年分の年次も入れるため、早稲田アリーナ入れ替え制で3回の開催。映画館並みである。コロナ流行の余波は恐ろしい。
卒業25年のHCDに参加したが、サークルにもゼミにも無縁の大学生活を送った私には不毛な時間に思えた。その後、港稲門会に入会して初めて稲門祭の会場で顔見知りと飲む楽しみを知る。そうこうするうちに1977年次稲門会にも入会。前夜の懇親会から当日のあれこれまで忙しい稲門祭となった。さてしかし、今年の稲門祭会場内はアルコール禁止。私の式典は13時には終了するのだが、さてどうしたものかと考えている。
この機会に、卒業した1977年・昭和52年を思い出してみよう。就職は男女雇用機会均等法の無い時代。好き好んで女子学生を採用する企業などわずか。パソコンもない、携帯電話もスマホもない時代に、一体どうやって就職試験会場までたどり着いたのだろうか。その就職試験は卒業前年の10月、秋の早慶戦の頃だった。そうそう、卒業式に袴を履くという宝塚のような風習はいつ始まったのだろう?海外に卒業旅行するなど早稲田では聞かなかった。直後に来る「80年代バブル」など想像もできなかった。
運よく卒業してもっと運よく就職できて、めでたく定年退職。68歳の今、夫と私の永代供養申し込みに合わせ両親の墓じまいも終了。終活街道をテクテク歩いている日々である。コロナの流行は予想外だが、昔々を思い出すHCDや稲門祭は還暦後の校友のためにあるのではないかと思うこの頃である。
文:川崎(桜井)郁子1977年第一文学部卒