仕事を通じてウクライナと深く長い縁を結ぶ西垣会員からの支援報告Vol.1

カンザスからウクライナへ-『日本語』がつないだ30年

「 キーウ-独立記念碑にて」

政治経済学部1980年(昭和55年)卒の西垣孝一と申します。この度改めて「(再)入会」の手続きを取らせて頂きました。1991年の独立以降、公私にわたって長いご縁のあったウクライナへ降りかかった突然の国土侵攻・一般市民攻撃という事態の中で、政治的な発言は避けますが人道上の見地から出来得る限りの支援活動を続けてゆこうとの想いを胸に、再び稲門会の門を叩きました。

現在私は、キーウ/オデッサ等各地と連絡を取りながら避難民支援活動に従事しております。特に国内では在日ウクライナ人組織(昨年4月1日に法人化)を通じて以下のような活動を行っています。

<就職・起業・アルバイト紹介など/ 住居(アパート・学生寮・空き家など)/日本語学習支援 / 就学支援(就学年齢児童・学生)/ ビザ取得のための保証人募集など>

その縁は、全米小麦生産の中心地で始まった

私とウクライナとのご縁は30年前の1992年に遡ります。当時私は米国教育省のグラントプログラム『ビジネス国際化プロジェクト/US Department of Education-“Internationalization of Business” Project (USDE-IBP)』の講師としてKansas州Wichitaのウィチタ州立大学で日本語と日本文化を教えておりました。ウィチタという都市はカンザス州中央部に位置する人口約40万の中都市ですが、世界の航空機生産の中心地(Boeing Military Jet, Cessna, Beach Aircraft, Gates Learjet の航空4社本拠地)であると共に全米の小麦生産と食肉市場(牛肉)の中心地でもあるという経済・産業的に大変ユニークな立場にある都市でしたので世界各国からの貿易代表団がしばしば訪問する都市でもありました。

1991年12月の独立後間もないウクライナからの代表団が翌92年にカンザス州ウィチタを訪れた際に、日本商社の三国間輸出ノウハウに学ぶため当時ウィチタ州立大学ならびに周辺諸都市の大学で唯一の日本人講師であった私に通訳・翻訳の依頼があった事が、その後現在に至るまでの30年間に及ぶご縁の始まりであったことに今は深い感慨を抱いています。

今回の再入会を機に早稲田の諸氏にはウクライナからの避難者の就職支援等につき現実的なご指導を仰ぎたいとも思っております。また自身では今後ウクライナの戦後復興についても草の根レベルでの息の長い支援活動をとの想いを強くしております。改めまして、よろしくお願い申し上げます。

造船業の町ムィコラーイウの市場
ムィコラーイウの教会

→vol.2 《知られざる親日国家ウクライナ》