港稲門会 Minato
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老舗ののれんを守る校友から、エッセイが届きました!

水泳と蕎麦、わが半生
昭和11年、港区麻布の大店として栄えておりました更科そば店の8人兄弟の末っ子としてこの世に生を授かりました。このころ七代目である父が事業に失敗、店を閉めることとなりました。さらには東京大空襲まで重なり辛い時期でした。
やがて終戦を迎え昭和24年、麻布十番の有志が「戦前の更科そばを復活させよう」と父に呼びかけてくれて、戦後の新しい更科そば店が開店する運びとなりました。それと同時に日本橋にいたわれわれ家族も麻布に戻り、私は地元の港区立城南中学校に通いました。
2年生のころ正式に競泳を始め、東京都中学水泳大会では100m平泳ぎに優勝しました。早稲田高等学院時代にも水泳部に籍を置き、東京代表として国体にも出場しましたが、決勝までには至りませんでした。そして、早稲田大学に入学、水泳部に入部しました。
当時、早大水泳部は低迷していましたが、あのころの華々しい青春の日々は今でもたくさん思い出として心に残っています。水泳部では人間関係について、4年間多くのことを学びました。さらには丈夫な体、健康も頂きました。水泳部での4年間はまさに人生の縮図であったと今でも思っています。

大学卒業後、戦後の更科そば店の経営陣と意見が合わず、さまざまな紆余曲折を経て、昭和59年に現在の「総本家 更科堀井」を開店しました。9代目である息子とともにお店を切り盛りし、東京都のれん老舗会にも復帰させていただき、現在に至ります。

私の人生は、まさに水泳と蕎麦なくては語れないものです。

文:堀井良造(昭和35年 政経卒)/ 「総本家 更科堀井」八代目堀井太兵衛
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2010年10月「食べ歩き部会」での<新蕎麦食事会>。左端が、筆者・堀井良造さん
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ビールにぴったりのパリッとした「そば揚げ」は更科堀井名物!
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