10月22日早朝、港稲門会の長老のお一人であった渋谷 侑 先輩が、多臓器不全でお亡くなりになりました。享年80でした。
港稲門会の春の総会、秋の懇親会、二火会、ゴルフ部会、カラオケ部会、賑やかで楽しい集まりには、いつも渋谷先輩の姿がありました。長身でスリムで、江戸っ子の粋と西洋人のようなダンディーさをあわせもった渋谷先輩でした。早稲田大学OBには珍しく「ボクはネ・・・」という青年のような言葉使いがとても似合っていたことも、忘れられません。お亡くなりになった後、渋谷先輩が奥様のことを「ボクの最後の恋人」と呼んでいたことを、ご家族から伺いました。そんな表現をしても、ちっともわざとらしく聞こえないチャーミングな性格の男性だったと思います。
今年5月、港稲門会総会の席上で、新設された『港稲門会活性化大賞』の受賞式が行われました。「早慶戦の応援に行こう!」と会員に呼びかけ、ハンカチ王子の入学で入手困難な早慶戦のチケットを、ご自身で手配して下さった渋谷先輩は、もちろん栄えある第一回活性化大賞受賞者のお一人でした。今思えば、今年2月、神宮球場からの帰りに具合が悪くなられ、総会の開かれた5月は厳しい闘病の最中だったのではないでしょうか。ただ、入院中も病室にラジカセを持ち込み、大好きだった懐メロ歌謡曲を聴いて楽しんでいらしたというご家族のお話に、最期まで渋谷先輩らしい日々を過ごされたのだと救われる気がします。
昭和3年四谷に生まれ、銀座で育ち、早稲田中学から大学まで都の西北に通った生粋の江戸っ子、渋谷 侑 先輩の死を心から悼みます。
昭和38年から西麻布に住み、縁あって港稲門会の会員になられたことを誇りに思います。
渋谷先輩のエールは立派でした。「ボクはネ、自己流なのよ」と言いながら、「フレー、フレー、早稲田!フレーフレー、港!」とリードする朗々たるあの声を、私たちはいつまでも忘れません。
合掌
文:桜井郁子(昭和52年第一文学部卒)
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