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故土屋喜一先生(初代港稲門会会長)を悼む
"皆弦機会(みんなげんきか〜い)"に参加して
港稲門会は1990年1月に創立しました。初代港稲門会会長は早稲田大学理工学部教授(当時)の土屋喜一先生。ニ火会での軽妙な会話、旅行部会で美味しそうにうなぎを召し上がるお姿など、会員一同に沢山の楽しい思い出を残して、土屋先生は6月30日に旅立たれました。
7月12日、土屋先生の御子息・耕一さんから事務局に届いたご連絡です。
皆弦機会(みんなげんきか〜い)" 開 催 の ご 案 内
父 土屋喜一は去る2006年6月30日75歳にて永眠いたしました。
ここに生前のご高誼を感謝し、謹んでご通知申し上げます。
尚、葬儀につきましては近親者にて同年7月2日に相済ませました。
追ってお別れ会「皆弦機会」を下記のとおり執り行います。
この会の名前は故人が好きであった事柄と口癖との語呂合わせで命名致しました。
当日は
(1)人工心臓のデモンストレーション、
(2)友人たちによる室内楽の演奏や、
(3)故人の写真などの展示を企画しております。
お忙しいとは存じますが、ご来臨賜り故人を偲んで頂ければ幸いです。
7月31日、安藤会長以下港稲門会役員一同で、リーガロイヤルホテルの「皆弦機会」会場に伺いました。
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会場内の祭壇には、先生の大好物「うな重」とビールが!参加者一同、合掌
土屋先生の学術的な業績のほか、多彩な趣味や交友関係の広さにも、今さらながら驚かされる会場構成です。
先生こそが、この会に最も参加なさりたかったのではないでしょうか。会場内の思い出のパネル一枚一枚の前で、楽しいお話をなさりたかったのではないでしょうか。
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会場内の写真パネルには、ご家族との団欒や、港稲門会での駅伝応援の様子も
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御友人達による室内楽の演奏
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先生が成し遂げた医学への貢献の一つ、
人工心臓
この会場での、土屋先生のご家族の様子には頭が下がりました。終始にこやかで、物静かで、8年間の闘病を支えた家族の結束と愛情を垣間見る思いです。
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御挨拶をなさるご子息耕一さん
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奥様、お嬢さまと談笑する会長と増子会員
耕一さんが御挨拶で「入院中の父は『家族の皆は元気か?』というのが口癖でした」と仰っていました。
早稲田大学史に残る偉大な教授であり、趣味人であり、そしてなにより家族を愛した土屋先生のお人柄が偲ばれるエピソードです。
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お別れ会、皆弦機会に参加した港稲門会会員たち
土屋先生の御冥福を心からお祈りします。
(文:桜井郁子 昭和52年第一文学部卒)
港稲門会 安藤会長からのご挨拶
当日は、理工学部教授で早稲田大学ナノ理工学研究機構機構長でもある大泊巌先生も御出席なさっていました。大泊先生の功績は、今後の早稲田大学に大きな足跡を残すでしょう。故土屋先生の交友関係の凄さに改めて敬意を表します。港稲門会一同、心から御冥福をお祈りいたしております。
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安藤会長と大泊巌理工学部教授(左)